近況報告(海外赴任/新しい趣味/ボランティア/30歳)

  • 2021-09-06
  • 2021-09-12
  • 雑記

「近況報告」というタイトルはあまりに漠としていて,タイトルとしての役割を自ら放棄しているに等しい愚行と思うのだが,あまりに更新を怠っていたがために他にしようがない(実にして2021年9月の今日が2021年初めての投稿である)。いや半年後にまた「近況報告」というタイトルを並べるのを防ぐという意味で,少しは意味のある愚行かもしれない。

といっても,今までの更新は主に本を読んだとか映画を見たとかいうようなものが中心だったので,実はこのブログの性質としてそもそも近況など報告していなかったと考えることもできる。まぁブログだし何でもいいか。実のところ,140字を超えて徒然と文章を書く機会があまりに久々なもので,正直どう書いたものかと戸惑っているのだが,ところで最近読んだ『ライティングの哲学』という本で,「えーと」とか「まぁ」とかのフィラーワードを含めて脳内をそのままトレースしながらウォーミングアップする,といういかにも散文らしい書き方があり目から鱗だったのを思い出しながら実践しているというわけだ。
さっそく脱線している,というよりも最初から線などないのだが,とはいえ書きたいことがあるから編集画面を開いているので,そろそろ主題に移る。そうそう,久しぶりにブログを書こうとするとこんな風に必要以上に文章がネチネチと長くなるのが私の悪癖だったな,そういえば。

2020年から2021年の今にかけて,人生の彩りになるような事柄があったので(心に余裕のある時に限り,人生を生きることこそが人生なので多少のハードルも見方によってはデコレーションだ,と思うことができる),こんなご時世だし親しい人にも面と向かって報告する機会もないので,という言い訳をしつつ,せっかくブログという手段を持っているのだからと書く次第。
事柄間に前後関係もそんなにないので,章を分けて一気に書いていく。

海外赴任が決まった

仕事で,シカゴ駐在の機会をもらった。ビザ次第だが,出国は2021/10中下旬,帰国は2023/08末の約2年の予定だ。仕事というのはシカゴの大学との共同研究なので,駐在といいつつも大学の研究室に通うため,いわゆる「駐在」感も「ビジネス」感もない。どちらかといえば責任の生じる「留学」に近くて,こういう海外赴任の形もあるのだと知った。
誰もができるわけではない経験をさせてもらえるのは素直にありがたいし,現地の生活も楽しみでもあるし,である以上ちゃんと成果も出したいなという気持ちもあるのだが,行く前の現時点では正直なところ不安が9割9分を占めていて,時折「そういえば現地の生活も楽しみだな」と1%を思い出す。新しいことへの挑戦とは得てしてそういうものだよな,と思うことで不安に対する罪悪感も多少和らぐ気はするが,まぁ思っちゃったものは取り繕ってもしょうがない。
そして,そういう不安に苛まれているものこそ始まってみると楽しいのだ,ということは自分の性格と経験上,ほぼ確信を持っているという不思議な感覚も同居している。

さて,実はこのシカゴ駐在,当初は1年前の2020/10頃出国で3年間の予定だったがCOVID-19の事情で1年間ずれ込んでしまった。現着から数ヶ月は生活基盤を整えるので精一杯になる,とはどこを見ても・誰に聞いても言われることだが,そうすると実動できるのは思ったよりも短い。生活基盤を整えて,1年間経ったらもう残りは半年である。マジかよ。
こんなご時世なので日本から人を招くのも気が引けるが,半年か1年か経って,いずれ以前のように自由に旅行ができる世の中になったら,シカゴ近辺にお立ち寄りの際はご一報ください!

ところで,赴任にあたり面倒な手続きの中で最上級に面倒なのが資産運用関係である。NISA・特定口座から一般口座に振り替えたとしても投資信託の売却を求められる日本の証券会社の多いこと多いこと(特にアメリカに出国する際は,アメリカの法律関係でさらに条件が厳しくなる)。継続保管OKの数少ない証券会社(e.g., マネックス証券・SBI証券)に移管してもいいが,私がNGの会社(e.g., 楽天証券)で運用していたつみたてNISA分は,どうせ無課税だしということで全部売却してOKの会社で買い直した(リバランスも兼ねて)。ということで過剰な手間はかかったもののなんとか事なきを得たのだが,日本が金融鎖国状態であることを痛感してしまった。
こういうことを経験すると,将来また日本から海外に駐在・移住した場合にどう資産を運用したらいいやら,というのが現実感を持った悩みとして表出してくる。調べたところ移住しても海外から運用継続できる日本の証券会社は存在しないようだし。
一方,アメリカの証券会社の一つである「Firstrade」はアメリカ国外からも口座開設・運用ができる(さらに取引手数料無料),駐在マン御用達の証券会社であることを知った。残念ながら日本の投資信託のような毎日積立は難しそうだが,ETFをDRIP(配当再投資)しつつ手動積み立てしていけば似たような投資は可能であり,私は駐在中はこれを軸に利用することになる気がする。アメリカといえばRobinhoodやその他のFintechサービスの最前線だが,せっかくアメリカに住所とソーシャルセキュリティナンバーを持つのであれば口座開設して使用感を試してみたい。関係ないとは思うが,シカゴは金融街のある街。色々勉強したい。

バイオリンを習い始めた

1年前くらいにブログを書いたのだが,エレキバイオリンをmercariで譲ってもらって,昔からの憧れだった楽器を始めた(何故バイオリンか,というのは下記の記事に書いた;自分で見ても曖昧模糊としたエントリーである)。

それでも世界はループ!

実に2ヶ月半ぶりの投稿。 世の中がコロナ一色の中,幸いにも罹患せず粛々とテレワークの毎日。 今日は,死亡リスクもある恐ろ…

始めたはいいのだが,こういう深遠な世界はやはり1人で挑むには敷居が高すぎる。憧れだったがゆえ挫折こそしなかったが,練習時間は日を追うごとに減るし,(今思えば)練習とも言えないような音鳴らしのお遊びに興じるのにも行く末を感じられなくなっていた。上で書いたシカゴ駐在が2021/10月ごろにようやく,という目処が立ち始めたあたりで,このままでいいのか? という焦りが生まれてきた。せっかく始めた憧れの楽器,このままの状態でアメリカに渡っても2年間まったく上達する見込みがないのは明らかだった。
となれば,ということで,出国までの限られた時間ではあるが,レッスンを受けることに思い立った。基礎の基礎を(日本語で)なるべく教わって,アメリカでなんとか独習できるくらいに意識を持っていきたかった。こうして体験レッスンを受けたのが6月の末である。決断,遅すぎるぜ。

調べるとバイオリンレッスンを手がけている教室は多くある。グループレッスン,個人レッスンに大別されるが,私のニーズに合うのは後者の方。レッスン代や短期間で退会すること(入会時に伝えるとはいえ失礼な話だ)なども踏まえて,「椿音楽教室」にお世話になることにした。月2回,スタジオを借りて教えてもらっている。

椿音楽教室

椿音楽教室は全国200箇所以上のスタジオを中心に埼玉、神奈川、千葉でピアノ、ボーカル、弦楽器、木管楽器、金管楽器、ギター…

習って思い出したが,「習う」ということの学習効率はものすごい。教師がいれば人間は成長できる。初心者こそ最初は人に習うべきだ。そこを私は間違っていた。
思えば,大学院以来,会社に入ってからは「コメント」や「相談」こそあれど,教えてくれる人などいない。一つの道に通じた人からその経験のお裾分けをしてもらえるのは,人間の営みのうちで最も尊いものの一つなんだな,と無意味な拡大解釈をしたくもなる。

願わくはもっと早く始めたかった。後悔先に立たずだが,後悔できるのも一歩踏み出したからだと開き直ることにする。

ロードバイクを買った

たびたび私のブログに登場する,大学の頃からの友人・いっちーから,深夜にいきなり電話が来た。「自転車,興味ない?」

icchi's page

都内で働く高専出身エンジニアのプロフィールサイト…

まるで見透かされたのかと思ったが,実は当時の私は家の近所に「Hello cycle」という電動チャリのレンタサイクルがあることを知り,隙を見てはそれを借りまくって各所に出かけていた(最長で,埼玉県の自宅から2時間かけて虎ノ門まで行ったことがある)。そんな私は,彼の突然の質問に当然「あるよ」と答えるのだが,彼が続けることには,
「実は最近ロードバイクを買ったんだけど」

実は私は当時,クロスバイクとロードバイクの違いも知らない程度の人間だったのだが,夜更けにかけて白熱する彼の話を聞くうちに興味を持った。持ってしまった。
彼からおすすめのYoutubeチャンネルを教えてもらい(うなされるように彼が熱弁するところには,伊豆半島を一周することを「いずいち」と言うらしい),ひとまずその日は寝た。

数週間後にまたも彼から突然の電話があり,中古のロードバイク販売店に案内してくれるとのこと。当日は,車を持たない私にはあり得ないフットワークの軽さで,あれよあれよと2軒をハシゴして案内してくれ,試乗までさせてもらった。
中古とはいえロードバイクの値段はそれなり,かつピンキリである。キリと言ってもざっくり10万円前後でエントリーモデルという世界なので,安い買い物ではない。
しかしそこは,バイオリンしかり新しい趣味を始めるには人生の中で一番若い今この時こそが最上と思うに至った私である。なんなら,深夜に電話までかけてくる趣味仲間(というか熱心な指導者)までいて,始めない理由もない。
こうしてその日のうちに震える手で12万円の購入ボタンを押した私は,そういえば来月誕生日だったな,ということを思い出す。こうして自分史上最高級の誕プレを贈ることになった。

購入したのはイタリアブランド・Wilierの1台。何事に付けアクセントカラーに目を引かれてしまう私っぽい選択だったと今でも思う。

届いてからは想像以上に追加で揃えるべき備品があって(ペダルは別売だったし,ヘルメット,ライト,サイクルコンピュータ,ボトルケース,グローブ,室内保管用のスタンドも必要)手間取ったが,揃ってしまえばこれほど楽しいものはない。毎晩,家の近くを1時間弱漕いでまわるのが日課になった。驚いたが,電動チャリですら苦労するような上り坂も,軽量さゆえかロードバイクの方が苦労なく上れる。これは確かに楽しい。革命だ。

そんなわけでロードバイクを予想以上に楽しんでいた私だったが,またしても後日いっちーから連絡。
「かすいちに行かない?」
伊豆半島一周=いずいち,であるから勘の鋭い人は分かったかもしれないが,かすいち=霞ヶ浦一周のことである。短いコース(60km)長いコース(140km)と色々あるが,我々は初心者であるからして,最長コースはさすがに心許ない。悩んでも答えは出ず,挙げ句の果てに当日のコンディションを見て決めようか,という何も決めないという決定を経て,いざかすいちへ(そして結局100kmコースを選択)。


結局死にそうになりながら100kmを走破して,一応「かすいち」ホルダーに仲間入り。ちなみに懸念していた身体の筋肉痛はそれほどではなかったのだが,ロードバイクのフロントギアを切り替える左手の筋を痛めてしまい,その後1週間くらい中指と薬指の間が閉じられないという摩訶不思議な体験をした。なお,一番困ったのは頭を洗うときと,バイオリンの演奏である。

オリパラのボランティアをした

今では幾分か情勢も落ち着いたが,オリンピック・パラリンピック開催に対して各々方賛否両論あるのは承知しているので書いたものか悩んだが,これはこれで一つの貴重な経験なので恐れずに書く。

タイトル通りだが,オリパラのボランティアをした。役割としては,オリンピックは「イベントサービス」(国立競技場まわりの観客誘導など)のチームリーダ,パラリンピックは「選手村マネジメント」(選手村のあれこれの仕事)の一般スタッフ。しかしながらオリパラ両方とも無観客開催になったため,イベントサービスのシフトは消滅,結局パラリンピック選手村のみ活動した。

選手村って何すんの? という話だが,入村の手続き(居住棟の案内)・日々の選手対応(居住等に設置されている受付)・交通誘導・退村の手続き(部屋の備品チェック)など色々ある。一口に「選手村」と言っても中で細かくシフトは分かれていて,日によって・人によって任される役割は様々。

なお余談だが,上に書いたとおりオリンピックのシフトは全部消滅してしまった人向け(恐らく)に,パラリンピック開会式のドレスリハーサルの案内があり,私も実際の新国立競技場で,入場する選手役として開会式のリハーサルに参加させてもらえた。
競技場の地下にある選手団の入場待ち順路から,実際の音楽・カメラワークに合わせて行進する一連の流れを済ませた後は選手よろしく椅子に座りながら式次第を見ていられる。普通ならテレビからでしか見られない景色が,目の前の空間で展開されていく驚きと言ったらない。参加したのはパラ開会式のリハーサルだが,同じ会場を使う閉会式の中継を見ていても,この時の風景をフラッシュバックさせながら景色を投影しながら楽しめるのは,口さがなく言えば役得である。

なお,内部の写真撮影は普段以上に厳しく制限されていたため,データとしては何も残っていない。名実共に夢のような体験だったと言うほかない。

ところで事前に周知はされていなかったが,ボランティアの活動日が一定日数に達すると「ご褒美」がもらえる。”Field Cast”(大会ボランティアのこと)と銘打たれた,銅(活動3日)銀(同5日)金(同10日)のピンバッジである。ところで各国の選手団もそれぞれの意匠のピンバッジを用意しており,選手・ボランティア間で交換を繰り返してコレクションするのも楽しみの一つ。ボランティアにとっては上記のピンバッジがさしずめ「持ち玉」だが,人によっては(日本っぽい)ピンバッジを他で用意していて交換に応じたりしていた。確かに,選手村から自由に抜け出して買い物を楽しむことができない今大会では,それも一つのおもてなしかなとも思う。
そういう私も,積極的に「交換しよーぜ」と声はかけなかったものの,道を歩いているだけで交換を申し込んでくる選手もいたりして,いくつか交換してもらった(左から,スペイン・イスラエル・フランス・オランダ)。

あと,活動7日目には「抽選」もあって,当たるとTOKYO2020限定デザインのスウォッチがプレゼントされる。外れるとこれまた限定のピンバッジがもらえるようで,どちらも良い記念品には違いないが原価的に前者が「当たり」とされているようである。運のいいことに私はスウォッチが当たったのだが,スウォッチなだけあって安っぽくはなく,十分に日常遣いできる嬉しい景品だった(ただ,私は時計は既に気に入ったものがあるので妹にでも譲ろうと思う)。

シフトの中では当然ながら選手団と会話を交わすことも多い(そして,これから赴任するというのに英語で苦労するのだが)。小学生並の感想だが,「世界は広いなあ」と肌で感じることはやはり現地現物の価値がある。これだけの国と地域が1箇所に集まり得る意義はそれを感じることこそにある,と言うとトートロジーでしかないのだが,まぁそんなものだ。
また,パラリンピックということで,disabilityを持った,かえって逞しい選手が多い。これも言葉にするのが難しいのだが,勇気づけられるというか,何でもやってみようという気になるというか,まぁそんなものだ。人間誰しも至らないところはあるが,そしてそれが一般に”disability”とカテゴライズされないものであっても少なくとも私は凹んだり悩んだりするのだが,パラ選手の,disabilityでさえも我が物としている様子は偏に誰かの拠り所になるんだろう。過分に綺麗事を言うと,人生の目的を「最良の人生を生きる」ことではなくて「生きる人生を最良にする」に置くとして,そのヒントを体感できた(うまく言語化はできないが;いつか十分に消化できるといいのだが)と思えば,このパラボランティアは暗黙的な価値に満ちたものだったと思う。
ところで,このエントリーを書きながらパラリンピック閉会式の中継を見ていたが,橋本聖子さんのスピーチは歴史に残るものだと思った。妙に凄みがあるが,スピーチライターじゃなくてご自身で書かれたのだろうか。

スピーチは2時間20分ごろから始まる。

脱線するが,私が大学生の頃Android開発を趣味として続けられたのはコミュニティに属して「仲間」を作れたこと,ただこれのみに依る。その中でイベントスタッフをする機会もあり,それを通じて加速度的にコミュニティの恩恵を受けた経験は,誇張なく人生観を変えたものだった。それ以来,「物事を真に楽しむコツはコミュニティに属することだ」という信条を持った。文化祭を一番楽しんでいるのは,実のところ来場者ではなく,文化祭実行委員会もしくは出店者なのだ。
そういう意味で,ボランティアも私にとってはTOKYO2020を楽しむための手段だった。何かは分からないけど副産物は発生するに違いない——その目論見はちゃんと回収できたと思う。
ただ,ボランティアをやってみて一番の発見は,ボランティアはあくまでコミュニティの周縁に過ぎず,責任も無い分,楽しむ余地がまだ残されているということだった。その観点から最後に本音を言うと,組織委員会の一員として活動していた友人Oが羨ましい(その苦労は計り知れないが)。そして,彼に限らず大会運営に携わった皆さん,お疲れさまでした。お陰で貴重な経験ができました。

さて,祭りの後というのは何事に付け物悲しい。
こうやって一つのハレは終わり,かと思えばシカゴ赴任という別のハレが来る。しかして始まりも終わりもないケに塗れながら,断続的なハレを過ごす。振り返れば朧気な記憶に埋没してしまっても,そこに人生の襞はグラデーションの様相で思い起こされるんだろうと思う。

30歳になった

目次以上に言うことなどないのだが,四捨五入とか切り捨てとか言って言い逃れのできない「三十路」に入ったらしい。

歳を重ねた,ということを実感するタイミングは人それぞれだと思うが,極めて現実的なその一つの例として,申請書とか入力フォームの「年齢」欄がある。
私の場合,シカゴ赴任に伴い破傷風・狂犬病のワクチンを打つことになったのだが,その初回接種日があろうことか誕生日当日であったため,誕生日を迎える前に記入した問診票で「年齢:30歳」の感慨を前借りしてしまった。良いか悪いか誕生日当日の感動など無いかな,と想像していたが,診察の際にお医者さんに「あ,誕生日なんですね。おめでとうございます」と言ってもらえたので少し救われた気がした,という至極どうでもいい話を書いておきたかっただけである。

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