読了『日本再興戦略』

2019/01/06読了。

年初早々にアツい本を読めて幸福である。
読んで非常に元気をもらえる本で,現代日本に対する警鐘と,諦観に終わらない「再興戦略」を述べる。
人間存在や国家ビジョンなどの我々のアイデンティティに関わる分野を聖域的にとらえ,それらからすればテクノロジーを些細な一分野であるような見方をする人々もいます。
しかしながら我々はテクノロジーによって知を外在化し,生活を拡張子,人間存在それ自体の自己認識を更新し続けてきたのです。
テクノロジーという人の営みが生んだ文化を見直し,テクノロジーが刷新する人間性や文化的価値観を考慮することは,これからの人の営みにおいて不可欠であり,自然の中から生まれた人間存在は,人間が生み出したテクノロジーによる新たな自然を構成することで自らの存在や定義という殻を破り,更新されうると僕は考えています。

「欧米」はユートピア

自信を喪失し,アップデートに苦慮している日本の根本的な問題とは何か。その一つは,日本人が漠然と思う「欧米」の概念である。

そもそもが,「欧米」ってヘンな言葉だ。欧州と米国,なんでこれが一単語に合体しているんだろう? 欧州と一口に言ったって,色々な国も文化も,人もいる。どの時代にフォーカスするかも明言されていない。ひどく蠱惑的な,黒魔術のような言葉である。
背景は近代日本の興り。明治維新や敗戦をきっかけに,日本は急速にアメリカ・イギリス・ドイツ・フランスなどのシステムを輸入してきた。当時としては各国のいいとこ取りをしてきて,外来的に入ってきたものをすべて「欧米」と呼んで崇めた。けれど,段々とそのシステムも時代と乖離してきて,今ではまるで「悪いとこどり」なケースが多い。
結局のところ,信念なき古めかしい継ぎ接ぎが,曖昧な「欧米」なるものの正体ということだ。

もう一つが,「個人」の考え。
日本は昔から(良くも悪くも)ムラ社会であり,他人に依存しながら生活してきた文化がある。それなのに「欧米」の「個人主義」を中途半端に輸入した結果,我々は過度に分断されてしまった。
日本が依存型の社会であったことを示す端的な例に,「百姓」という言葉がある。今でこそ昭和的なイメージで百姓=農家と思いがちだが,本来は「100の仕事を持ちうる職業」のこと。何個かの職業を1人が兼任して,助け合いながら生活してきたのが「士農工商」に現れる「農」であった。
一方,一神教である西洋では(不完全な)個人が(万能な)神を目指す,というスタンスで人生を語る。それゆえに個人は職業と密接に関連し,東洋のそれとは根本から異なるらしい。
「曖昧であること」を許さない西洋的思想では「仕事」と「生活」は分断される。だからこそ「ワークライフバランス」,つまりワークとライフが二分された考え方をする。
しかし日本ではそうではない。オンとオフをつけず,生活の中に労働を含んでいた。そこにストレスは寧ろ少なかったんじゃないだろうか?
そういうことを指摘するために,落合陽一は本書の中で「ワークアズライフ」なる言葉を定義している。

日本は「欧米」を捨てて,本来の文化に沿った生き方ができるんじゃないの? それがイノベーションに繋がるんだよ。と語る第1章。

日本はブロックチェーン的国家

昔話をすると,古代日本で大和朝廷が成立し大化の改新の事後。日本の中心には天皇制という王制が敷かれつつも実際の政治は傍にいる執政者が行うというスタイルが確立した。
言わば精神的な支柱はあくまで天皇家だけど,政は官僚が主体。「誰が王になるか」という争いで他国が血を流す間,日本はあくまで執政者を巡る争いをしていた。このような統治機構は非常に面白い。
この文化圏の中で戦国時代を通じ,最終的に江戸時代となる。この時代は幕府こそあれど,実際の地方自治は藩が行うという非中央集権の形。結果的に300年続く安定期であり,日本の教育レベルは世界で見ても最高レベルだったとも言われる。
歴史を見るに,南北に長く伸び四季や文化の異なる日本は,まるでブロックチェーンのように非中央集権があっているのでは? というのが落合陽一の弁である。

「農工」たれ

日本におけるカースト制は「士農工商」である。
士は官僚などの政策決定者。農は(100の仕事を持つ)百姓・もとい一般生産者。工がアーティストや専門家で,商は金融関係のビジネスパーソン。
このうち,モノを作るのは「農」と「工」。逆に「商」は生産をせずにゼロサムゲームをするのであまり人数がいすぎても困る。
特に「農」に含まれる(100の仕事を持つ)百姓は,これからの時代においては「多動力」を発揮することが超大事。モノを作らない仕事はどんどん効率化の元に機械化されていく。

また,日本ではライフスタイルと美的感覚がセットになっているのが特徴的で面白い。
イチローが「野球道」と言ったり,新渡戸稲造が「武士道」と言ったりするのは,芸術の世界と職人の世界が一体化している国だから。日本人は本来的に職人とか芸術家に対するリスペクトが高いはずなのに,(マスメディアが流布した)拝金主義に冒されてしまっているのが罪深い。

ここでは触れないが,本書の中には「マスメディアの罪」という項があり,日本人の価値観が無意味に統一化され人生がサンプル化されてしまったこと(拝金主義のほか,派手な結婚式とか,高額な婚約指輪とか,ディズニー信仰とか,不倫願望とか,就活における金融業界の人気とか)に対する嘆きと警鐘がつらつらと書かれている。
ポスト平成で日本が再興するためには,まずこれらの「幻想」的な人生を唾棄することから始めなきゃいけないんだな。

人類のよさは,モチベーション

「自分探し」よりも「自分ができること」から始めよう。
技術革新の速度がもはや人間の学習速度を超えてしまった以上(機械学習なんてまさにそう),「今できることをやる」ことが一番大事。逆に言うと,いつ初めてもある程度のところまでのキャッチアップはできる世の中である。
そんな時代の中で,大事なのは「リスクを取って今やれるか」ということ。

ここが一番感銘を受けたところなのだが,落合陽一曰く「リスクを取るほどモチベーションが上がるというのは,機会にはない人間のよさ」である。

まとめ

永く停滞してきた日本の悪玉原因を暴露し,なおかつそれを打破する為の「戦略」を語る本。特に日本の文化や気質をベースとして主張を展開しているところが斬新で面白い。
思えば日本ほど過ごすによい国はない。なんでこんなにいい国が,こんなに閉塞感に閉ざされていなきゃいかんのだ。

ただ,もちろん精神論で物事が解決したら苦労はない。
大事なのは,個人のマインドセットと,不断の努力と,あとはそれを可能にする「日本」というフレームワークのアップデートである。

2019年。いい年にしよう。とても勇気づけられる本であった。

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東大修士(情報理工学;位置情報系機械学習)了。企業にて研究職なう。
Androidアプリ開発者,Flutter勉強中。
出没地域は映画館,本屋,勉強会。御朱印の集印がマイブーム。思い出深い神社は静岡県・伊豆山神社と滋賀県・多賀大社。登山したい。
投資チョットヤッテル。