うかつに愛を語りたい人々へ。——エストポリスに愛を込めて——

  • 2016-12-31
  • 2017-08-01
  • 雑記

突然ですが,「エストポリス伝記」もしくは「エストポリス伝記Ⅱ」というゲームに聞き覚えのある人はいるでしょうか。

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1作目が1993年,2作目が1995年にそれぞれ発売された,今懐かしきスーパーファミコン用RPGです。
残念ながら当時としてはそれほどのヒット作とはならなかったのですが,今では「隠れた名作」として取り上げられることも多いRPGです。
発売から20年あまりが経過した2016年現在にあって,毎年有志の方がオフ会を開催していますし(私も2015,2016年は参加させていただきました),ストーリーの良さもさることながらそのBGMでも多くのファンを引きつけていて,Youtubeやニコニコ動画で検索すれば熱心なファンによって実況や演奏の動画がアップされているという愛されぶりです(海外展開もしていたので,海外のファンもいるんですよね)。

オフ会のレポはこちらから。
「ドラゴンの巣」,「サンデルタンのおちゃ」,「まほうのつぼ」……どれもこれも心をくすぐる創作料理ばかりです!

2014年6月14日に開催された、エストポリスのファンのオフ会のレポートです。…

2015年6月6日に開催された、エストポリスのファンのオフ会のレポートです。…

2016年7月16日に開催された、エストポリスのファンのオフ会のレポートです。…

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さてそんな「エストポリス伝記」シリーズですが,なんと20年の時を超えて初めて,オーケストラによる演奏会が開催されました。
当然私も聴きにいったのですが予想通り感情が振り切れてしまったので,この機会に一度記事にしてみたい,その上でエストポリス伝記に対して「うかつに愛を語」りたいと思います。
(演奏会自体は11月だったんですが,諸々立て込んでいて公開が遅くなってしまいました)

エストポリス伝記とは

上でも書いていますが,今は昔1990年代に発売されたスーパーファミコン用のRPGシリーズです。
発表当初から3部作であることが計画されており,そのコンセプトに違わぬよう,前作の余韻を楽しみながらプレイできる非常に斬新なストーリー展開になっています(ネタバレになってしまうのでボカして書いています)。

1作目はいわゆる普通の「PRG」で,フィールド探索とコマンド入力式のバトルでストーリーが進んでいきます。敵とのエンカウント率が高すぎる,戦闘システムが単純,などと言われることもあり,後述する「エストポリス伝記Ⅱ」ばかりが名作として取り上げられる気がしますが,私的にはストーリーについては1作目の「エストポリス伝記」の方が好きなんです。当然ですが「エストポリス伝記」あっての「エストポリス伝記Ⅱ」なので,多大なるリスペクトを持って奉っています。

続編となる「エストポリス伝記Ⅱ」ではダンジョンのシステムが大きく変わりました。ダンジョン中にパズル的要素が張り巡らされ,銅像を所定の場所まで押したり,モンスターを矢で射止めて一定時間停止させたり……,と各々工夫の凝らされたパズルを解きながら,ダンジョンの最奥を目指すシステムは画期的でした(後述しますが,当時幼稚園生・小学生だった私にとっては難易度が高く,途中のギミックがどうしても解けず,クリアできませんでした)。
また,「エストポリス伝記Ⅱ」を語る上で外せないのがBGMの素晴らしさです。既に前作「エストポリス伝記」の時点で神がかっていたBGMは「Ⅱ」の世界において更に洗練され,特にボス曲などは一部では「世界一勝てる気がする戦闘曲」とまで評されるほどの神曲です。私は特に通常戦闘曲(いわゆるザコ戦で流れる)の「バトル#1」が大好きなので,敵とのエンカウントが楽しくて仕方ありませんでした。

なにかいいプレイ動画がないかなあと探してみたら,素晴らしい動画がありました。
“Part2″となっていますが,Part1はストーリー紹介と前半のチュートリアルだったので,実質ストーリーが動くのはこのPart2からです。
開始20秒くらいでモンスターとエンカウントして戦闘曲流れるので,せめてその曲だけは聴いていってください笑。

この実況動画,ストーリー的にはまだ途中のようですが端的に言って最高の香りがします。

そしてシリーズ最終作となるはずだった「エストポリス伝記Ⅲ」ですが,発売前に販売元が倒産,想定していた対象ハードであるPlay StationからPlay Station2へ世間が移行しつつあったことなどから開発がストップし,今に至ります。タイトルは「エストポリス伝記Ⅲ ルーインチェイサーズ」。「エストポリス伝記Ⅱ」の時点で残されていたいくつかの謎を解き,シリーズとして完結を迎えるはずでした。
ただ当時からファンの間で続編が強く望まれていたようで(私は全然知らなかったのですが),非公式のファンサイトが立ち上がって今でも「エストポリス伝記Ⅲ」の応援が続けられています。

エストポリス伝記シリーズのファンサイト…

権利の問題なので難しいとは思うのですが,こんなに素晴らしいゲームが完結できないこの世界はちょっと間違っていると思うのです。

もし生まれ変われるのなら,「エストポリス伝記Ⅲ」が発売される世界に生まれたい。

幼少の私とエストポリス

「エストポリス伝記」や「エストポリス伝記Ⅱ」の発売から数年が経ち,私(1991年生まれ)が幼稚園生だった頃の話です。当時ポケモンを皮切りに家庭用ゲームにハマり,毎日ゲームばかりしていた私に,ある日父親がスーパーファミコン用のカセットをいくつか買ってきてくれました。
その中にあったのが「エストポリス伝記Ⅱ」でした。

「エストポリス伝記Ⅱ」は買ってきてくれたソフトの中で唯一のRPGであり,子ども心にも「これは面白いゲームだ」と直感してプレイしていました。ただこのゲームは序盤から悲しい展開が多く,小さい頃の私にとっては「プレイするのが怖いゲーム」でもありました。
特にガデスというボスキャラが怖くて仕方なかったですね。ダンジョンのBGMも怖かった。でも先のストーリーが気になるから,プレイするしかない。
私にとって,「エストポリス伝記Ⅱ」の世界はまさに冒険だったのです。

でもこのゲーム,難しいんですよ!! ダンジョンのギミックがどうしても解けなくて(確かガデスの塔だったと思います),小学校になってもいつも同じところで詰まってしまうんです。
今のゲームと違ってこの頃のゲームは「セーブポイント」でしかセーブができない仕様だったので,直前の街の教会からいつもスタートです。怖い怖いダンジョンを何とか進めていって,今日こそは先へ進むぞ! と意気込んではいるんですが,やはり特定のトリックが解けない。泣きそうになりながら考えるけど,そこが私の限界でした。

結局ガデスを倒すことなく,私は「エストポリス伝記Ⅱ」をプレイすることをいつしか辞めてしまいました。

大学生の私とエストポリス

十数年後——(99年後——とエストポリスファン的には言いたいのですがw),私は大学生になりました。
2011年8月の終盤,もうすぐ9月になろうかという頃。ふと家の物置を整理していたとき,偶然スーパーファミコン本体といくつかのソフトを見つけました。その中にエストポリス伝記Ⅱの懐かしいパッケージを見たときは,全身の肌が粟立ちました。
いま,このゲームをクリアするしかない。

奇しくも9月頭に怒濤のテスト地獄が待っていたのですが,そんな些事はもはやどうでもいいほどに,幼いときの記憶が思い出されます。

「この,無性に心を震わせてくる物語の結末を見たい」
その一心で慣れもしない徹夜を重ね,エストポリスの世界へ飛び込みます。

なんとかクリアして,ボロ泣きしながらテスト勉強をしました。
あの時の感動は,人生でも5本の指に入るんじゃないかなぁ。

後日談です。
上述の通りエストポリスは「エストポリス伝記」「エストポリス伝記Ⅱ」と連なるシリーズものです。私は運命の悪戯で「エストポリス伝記Ⅱ」からのプレイとなってしまいましたが,このシリーズはファイナルファンタジーなどと違ってストーリーが密接に繋がっています。「Ⅱ」は完全な続編ですからね。
テストを片付けた(≠倒した)後,急いで「エストポリス伝記」の方もプレイしました。

それ以来,「エストポリスは『エストポリス伝記』と『エストポリス伝記Ⅱ』のどちらからプレイするのが正解だったのだろうか」という問題に頭を悩ませています。
当然,制作陣が想定したのは「エストポリス伝記」から「エストポリス伝記Ⅱ」の流れだったはずです。
でも——。
おっと,この先は言えません。これはプレイした人のみが享受できる幸せの1つのはずです。

いずれにせよ,私はまだ答えを出せずにいます。
記憶を消して「エストポリス伝記」からプレイしてみたい,何度となくそう思いました。

父親が私を「エストポリス」の世界に連れていってくれたのは,恐らく偶然でした(大学生当時,父親に訊いてみたらまったく覚えていませんでした)。
でも,偶然は必然です。現実はどうか知りませんが,少なくともエストポリスの世界では全ての事象に理があります。
私が「Ⅱ」からプレイしたのは必然だったのかもしれないし,実はものすごく損をしたのかもしれません。
答えの出ない問い,答えを出すべきでない問い,そんな気もしてきます。
ただ,もし私に息子ができたら幼少期にこそこのゲームをやってほしい。これだけは間違いのない,私の願いです。

こんな風に思えるゲームに出会えて私は幸せです。もっとゲームしておけばよかったな。

大学院生の私とエストポリスコンサート

冒頭に書いたとおり,11月にエストポリスコンサートが開催されました。
主催はMusicエンジン(主宰は河合晃太さん:@knkawai)で,諸々の権利関係をクリアして行われた,準公式のオーケストラです。

Tumblr

演奏中の撮影・録画は禁止だったので私の耳の中を記事にすることはできないのですが,一言で言って最高の演奏会でした。

シナリオの宮田さん・楽曲の塩生さん・中島さんのプレトーク(オフ会でもお会いしましたが),制作陣原作を彷彿とさせる曲順,愛に溢れたアレンジ,会場皆がエストポリスファンであるという一体感——どれをとっても,死にたくなるほど素敵でした。

当日の様子が,Togetterにもまとめられていました。文字を通じてですら,その盛り上がりを今でも思い出すことができます。本当に幸せな1日でした。

Togetter

「MUSICエンジン第一回演奏会」に関するツイートを集めました。ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。…

さらにさらに,演奏会の取材記事も公開されていました。すごい読み応えがあってよいです。

インサイド

2016年11月12日(土)、三鷹市芸術文化センター 風のホールにて「MUSICエンジン 第1回演奏会」が開催されました…

塩生さんのブログ記事もあります!
塩生康範のブログ

どももう2週間にもなるのですね。「Musicエンジン第一回コンサート【エストポリス伝記2】」本来ならブログで「事細かく」…

うかつに愛を語る私とエストポリス

一部では「うかつに愛を語るゲーム」として知られる「エストポリス伝記」シリーズ。
うかつに愛を語る,って何なのでしょう。

理性がきかずに漏れてしまった愛情でしょうか。
独り善がりな恋慕でしょうか。
照れ隠しの回想でしょうか。

いずれにせよ,そこには直情的な思いの丈が込められていて,それゆえにシンプルなはずです。
笑顔で「理由なんてないよ」と言っておきながら,そこに隠蔽した「本当の理由」のような,言葉にするのも憚られる直感的なトリガー。
理由がわからないなら錯覚なんじゃないの,という得も言われぬ不安感。
でも直感って信じたいし大事にしたいよね,という謎の使命感。

「うかつに」という言葉の甘美な響きの中で揺れるのは,直感的な自己肯定感と理知的な無力感の間の葛藤です。
何事かに対して「うかつに」と言っている時点で,その「何事か」の言葉としての透明度は既に不変ではない,ということでしょう。

本当にこれでいいのかなぁ,と迷いながら。
やっぱりこっちでいいでしょ! と一旦は決意し。
時々頭をもたげてくる不安を,逐一それらしい理由を付けて棄却しながら。
そうこうするうちに最初の決意すらも怪しく思えてきて。
自分らしくもないようなことで心を乱し。
あれ自分らしいって何だっけ,と呆気にとられ。
そうこうしているうちに,いつの間にか収まるところに収まる。

……なーんていう一連の右往左往を,私は自嘲気味に「うかつ」と呼ぶのです。

でもきっと,自身の「うかつ」は宝の山です。
答えのないことで悩めば悩むだけ,きっと他のところで未然に「うかつ」を防いでいる。
——に違いない。

そうでも思わないとやってられない,というのが本音です笑。

年末のご挨拶

最後に大晦日らしく締めます。

本年も,身近で助けてくれる人,遠いところで応援してくれている人,オフライン・オンライン問わず様々な人にお世話になりました。
就職活動,新しいプログラミング言語ScalaやKotilnとの出会い,自作アプリの公開,久しぶりの海外での学会発表,本サイトの構築名刺の新調Qiitaでの初投稿,修論研究などなど,ライフイベントのみならず趣味の活動もそれなりに充実していて,2016年は忘れることのできない1年になりそうです。
しかし同時に反省も多い1年でした。至らぬことで人に迷惑を掛けることもあり,言葉を口にした後に「これ言うべきじゃなかったな」と思うこともしょっちゅうでした。これらを成長機会と捉えて,もう少し自分を好きになれるよう努力をしていきます。

年が明けたらいよいよ修論が差し迫ってきます。配属先によっては来年度から独り暮らしもありえます。
2017年も本年に劣らず大変な,もとい楽しそうな1年になりそうです。

毎日をうかつに楽しく過ごしたい。
改めまして,来年もどうぞよろしくお願い致します。

短いですが,これにて年末のご挨拶とさせていただきます。

それでは皆様良いお年を!!