読了『失敗の本質』

2019/09/11読了。

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世には「失敗学」なんてものが存在していたりもするが,人間が人間であることの一つの利点は,我々が文字を持ち歴史や記録から来たるべき未来を予測できる「学問」なる武器(非情な世界に対して)を持つということである。読書もその武器の一つであり,ひいてはこの本もその一部である。

第二次世界大戦で日本軍が戦略的に愚の骨頂を繰り返したという指摘は随所で見聞きすることだが,その原因をどこに帰着させるか,は意外とあまり語られてこなかった部分である。
いわく,○○中将が駄目だった,○○作戦が土台からして無茶だった,などという後出しの批評は数多く繰り返されたが,この本ではその原因を「個人」ではなく,「日本軍」という組織——ひいては,当時の日本を包んでいた空気感に帰着させる展開で語るという独特な著作である。

ちなみにこの本の著者には野中郁次郎という人がいるが,実は昨今よく耳にする「アジャイル開発」の祖とも言える人である(アジャイル開発自体はアメリカで発展して日本に逆輸入された)。私がこの本を手に取ったのは,むしろこっちの理由の方が大きかったりもする。

この本は大東亜戦争(この本では「第二次世界大戦」ではなく,あくまで日米戦争という位置づけの「大東亜戦争」の呼称を使う)の転機となった代表的な戦闘である「ノモンハン事件」「ミッドウェー海戦」「ガダルカナル作戦」「インパール作戦」「レイテ海戦」「沖縄戦」の6つを取り上げ,そこから浮かび上がる組織論的問題の数々を,具体例を通じて抽象化するという分析を試みる。
日本軍組織というものが組織体としてひどく硬直しており,敗戦に向けて着々と進んでいったことが(読み進めるのが正直ツラいほどに)ありありとわかるのだが,さてでは「失敗の本質」とは何なのだろうか。

あいまいな戦略目的

「目的はパリ,目標はフランス軍」なる言葉がある。まぁ目的と目標を取り違えるなよ,という釘なわけだが,日本軍には明確な単一の「目的」が欠けていたという。

例えばミッドウェー海戦の作戦目的は以下のようなものである。

ミッドウェー島を攻略し,ハワイ方面よりする我が本土に対する敵の機動作戦を封止するとともに,攻略出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり。

たったこれだけの文章に,下記3つの作戦目的が書かれていることになる。

  • ミッドウェー島の攻略
  • ハワイ島からの敵の機動作戦を封止
  • ミッドウェー島に出現する敵艦隊の撃滅

想定される戦況的には上記3つの事象が同時に起きると予想したものだろうが,いかにも目的の多重性が過ぎる。別の言葉でグランド・ストラレジーの欠如。これは現代におけるビジネスにおいても,残念ながらよくみる光景な気がする……。

「空気」の存在

良し悪しの部分でもあるが,日本では情緒を重く見る傾向がある。作戦書に書かれるような「戦機まさに塾せり」「決死任務を遂行し,聖旨に添うべし」「天佑神助(てんゆうしんじょ)」「神明の加護」「能否を超越し国運を賭して断行すべし」などという,言葉を選ばず言えば「薄ら寒い」言葉で形容した作戦支持は,時として人を思考停止に陥らせ盲目的にさせる。

人的ネットワーク偏重の組織風土

本来,軍事組織というのは極めて合理的な官僚組織であるはずである。しかし日本軍においてはそれに併存する形で,個人間の強い情緒的繋がりを重視し「根回し」の文化を持った。
故に,官僚組織の本来的な即断即決は十分に機能せず,作戦自体の遂行でも後手に回らずを得なかった。

この雰囲気は,ひいては組織における人事制度に立脚するものである。企業における人事が,船頭として企業を作っていくのと似ている。「環境が人を作る」という,頷かずにはいられない言葉もある。

組織学習機能の欠如

日本軍には失敗した戦法戦略を分析し,組織内に伝播していくという努力をしない組織であった。ミッドウェー海戦の歴史的敗北の後に開かれるはずであった研究会が,下記の理由で未開催となったのはその極めつけである。

本来ならば,関係者を集めて研究会をやるべきであったが,これを行わなかったのは,突っつけば穴だらけであるし,みな十分反省していることでもあり,その非を十分認めているので,いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだ,と記憶する。

人的ネットワーク関係に対する配慮が学習を抑制してしまったとも言え,上でも書いた「人的ネットワーク偏重の組織」がここにも表れているのがよくわかる。
同時に,個人責任の不明確さは個人に対する評価をあいまいにし,評価のあいまいさは組織学習を疎外する。結果として残ったのは,論理よりも声の大きさがモノを言う下剋上・もとい無法地帯であったのかもしれない。

「信賞必罰」は「功績ある者は必ず賞し、罪過ある者は必ず罰すること。賞罰を厳格にすること。」という意味である。このうち後者が決定的に欠けていたとも言える。

まとめ

一言で言うなら,読んでいて非常に苦しい本だった。

内容が内容と言うこともあるが,それよりも日本的企業に通底するそこはかとない閉塞感も,その一端はこの本に描かれるような日本軍の特性——ひいては日本人の特性——に原因が帰着されるのでは,と思わずにはいられなかった。

特に胸を打ったのは最後に書いた「組織学習の欠如」のところ。
組織は状況に対して適応的でなければいけないが,適応力が高すぎると適応しすぎて,逆説的に硬直化してしまう。常に自己組織を客観視し弾力を持つ必要があるのだが,それを達成できるのは「集権された中央」ではなくて「現場」である。企業におけるレポートラインはよく言えば官僚的であるが,悪く言えば自律的な適応からは対極の位置にある。
まさにあちらを立てればこちらが立たずの状況で,答えのない場を絶妙なバランス感覚でもって渡り歩き組織の風土を作るということがどれだけ難題で,時として国家の未来さえも変えてしまうのか,と絶望したことは否定しない。ただし,「組織」を制すればその為し得ることの大きさに感動を覚えたのも事実である。

約400ページ。しかも難しい言葉も多い本書であるが,さすが名著と誉れ高い一冊であると思った。